郷土と天文の博物館ブログ

かつしかの麦作りと麦の食文化

令和3年4月21日

葛飾区で大正時代まで行われていた麦作りの様子と、現代にも受け継がれる麦の食文化について、葛飾の伝統的な料理の写真とともにご紹介します。

関東の麦作り

私たちの大好きなうどんやラーメン、パスタやパン、これらはすべて麦でできています。かつて、関東ではたくさん麦を生産していました。葛飾も例外ではなく、大正時代くらいまでは少量ではありますが麦(大麦)を生産していたことが当時の資料に書かれています。

植える場所は田んぼです。二毛作にもうさくといってお米を作った後に、麦を植えていました。そのため種蒔きたねまきは10月の終わり。米の収穫が終わって、寒くなってきた頃です。芽を出した麦は踏みつけることで根を伸ばし、強い麦にするための「麦踏み」という作業を行います。その作業を終え、4月は若い穂が出る季節です。現在も埼玉県や千葉県、茨城いばらき県などで、田んぼで麦が作られている光景を見ることができます。
東京の西部、武蔵野むさしのうどんで有名な多摩地域の麦は畑で作られています。畑に植える場合も種蒔きの時期は同じです。

このように、関東ではいたるところで麦が作られており、それを使った麦の食文化が各地に伝わっています。

現代にも受け継がれる麦の食文化

関東で生育されていた麦は大きく分けて大麦、裸麦はだかむぎ、小麦、があります。葛飾では大麦の生産量が高く、ついで裸麦、小麦、の順です。大麦は主に麦茶や麦飯、水あめや麦焦がしなどに、裸麦は麦飯むぎめし、小麦は、粉にしてうどんなどにして食べていました。

葛飾の伝統的な料理
写真:団子を作っている様子

最も地域的なバリエーションがあるのは小麦粉を使った料理です。葛飾区の伝統的な料理から見ていきましょう。

写真:だんご汁(葛飾版「すいとん」)
だんご汁

葛飾にもすいとんによく似た「だんご汁」があります。小麦粉や古い米の粉、くず米の粉、冷やご飯などを水で溶いて練った団子を、野菜を煮込んだ醤油しょうゆ仕立ての煮立った汁に入れて煮詰めていきます。
夕飯や昼食によく食べたそうです。

写真:やきびん
やきびん

小麦粉を水で溶いたものに味噌みそと砂糖を入れて練り、大葉(紫蘇しそ)と茗荷みょうがの葉に挟み、油を引いた鉄板で焼いたもの。
農業の合間のおやつ「こじはん」としてよく食べたそうです。

写真:えびりつけだんご
えびりつけだんご

小麦粉を水で溶いて練った団子状のものをお湯でゆでて、みたらしあん【砂糖醤油しょうゆ】をからめたもの。
おやつによく食べていました。

ちなみに、埼玉県には小麦粉を水で溶いて焼いた食べ物がたくさんあります。やきびん、たらしやき、ねぎやき、どんどんやきなど名前も食べ方も違いがあります。
特に最近有名なのは熊谷くまがや市、行田ぎょうだ市など埼玉県北部でよく見かけるフライです。専門のお店があるほどで小麦粉を水で溶いたものを焼き、しょうゆやソースを好みでつけて食べます。

うどんの種類も色々

うどんはその土地で取れた小麦粉を使い、手打ちで作られたものです。葛飾ではひもかわうどんの煮込みといった、煮込みうどんがよく食べられていたようです。

よく似たものに群馬県のおきりこみ、埼玉県北部のにぼうとう、埼玉県入間いるま地方のうちいれなどがあります。いずれも汁にうどんをいれ煮込んだものですがうどんの形状や味付けに違いがあります。

千葉県の栄町さかえまちなど印旛いんば沼周辺の地域ではつけうどんをよく食べます。祇園ぎおん祭りでの代表的な御馳走ごちそうだそうです。つけうどんは埼玉県の加須かぞなどでも見られます。夏には紫蘇しそ茗荷みょうが胡麻ごまなどをつけ汁にいれて食べます。さっぱりとしていておいしそうですね。

ところ変わって東京都多摩地域ではカテうどんといわれるものをハレの日によく食べたそうです。冷たい水でしめたうどんを熱々の汁で食べるのが特徴です。カテとは青菜や大根を湯がいたもので、うどんと一緒に汁に付けていただきます。

 ご紹介した料理だけでもたくさんありますが、よく知られたものから個性的なものまでまだまだあります。葛飾の麦の食文化も色々あるんですね。
 麦には、ビタミンやミネラルが含まれていて、調理のバリエーションも豊富です。おうちで麦を使った関東のご当地メニュー作りに挑戦してみてはいかがでしょうか?

記事・写真:博物館学芸員(歴史担当)

※このブログの内容は"FMかつしか「まなびランド」"で令和2年4月15日に放送した内容を編集したものです。博物館専門調査員(情報担当)

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