郷土と天文の博物館ブログ

かつしかの七草粥

令和3年12月22日

まもなく新しい年を迎えます。現在では、お正月に旅行を楽しむ方も多くなりましたが、本来正月とは、家族がそろって一家の繁栄を祝い、災いのない明るい年であることを祈る機会と考えられてきました。江戸時代、江戸近郊の農村だった葛飾区には、先祖から伝えられた正月行事が旧家に伝えられています。そのなかから今日は1月7日に行われる七草粥の行事についてご紹介します。

中国の年中行事を記した「荊楚歳時記けいそさいじき」という本によると1月7日は、人日じんじつの節供といって、人の健康長寿を祈願する日でした。この考えが平安時代に日本に伝わり、春に野山で見られる、生命力の強い若菜を入れた雑煮を食べる行事が定着したと考えられています

通常、七草粥には、春の七草とされるセリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロを入れるものとされ、みなさんがスーパーなどで見かける「七草粥セット」もおよそそのような内容ではないでしょうか。しかしかつてはまだ寒い17日に七つの草を手に入れることは難しく、例えばナズナだけを入れた粥を作ったり、小松菜や大根の葉など青みの強い野菜で七草の代用とすることがふつうでした。

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葛飾区に伝えられる七草粥は、一家の主人が調理する習わしでした。前日の夕方、神棚の前にまな板を置き、しゃもじ・すりこぎ・お玉などを並べて、七草を包丁で細かく刻んで大きな音を立てて叩きます。このときに唱える歌があります。

「七草、なずな、唐土の鳥が日本の国にわたらぬ先に七草叩け、ストトガトンヨ」というのがその歌です。唐土とは、昔、もろこしと呼ばれていた中国大陸のことです。そこから鳥がやってきて災いをなすことがないように七草を叩け、ということがこの歌の意味です。

先ほど紹介した「荊楚歳時記」では、1月7日には邪気の象徴である鬼鳥を打ち払うためには大きな音を立てることが必要であるとされています。まな板を叩いて音を出すことは、「邪気を払う」意味があると考えられます。

七草粥は家族で食べるほか、この日まで門前に飾られていた松飾りを抜き、その頭だけを摘み取って飾り、その上にもかけてお供えします。正月の行事は七草でひとまず一段落し、続いて小正月と呼ばれる1月15日を中心とする行事が始まります。

塩味のイメージが強い七草粥ですが、葛飾区の旧家では、七草粥に餅を入れ、砂糖をたっぷりとかけた甘い粥を食べる習わしがあります。餅を入れるということは、七草粥が神に供える神聖な食事であることを意味していますが、砂糖を入れることの意味はどう考えればいいでしょうか。

この甘い七草粥を食べることは東京に広く見られた習慣のようでした。万葉集の研究者として著名な池田弥三郎氏(故人=19141982)は、銀座の老舗天ぷら料理店の次男ですが、毎年家で作られる甘い七草粥が苦手で、1月7日は理由をつけて外出してしまうのが常であったと随筆『食べもの歳時記』に書き記しています。みなさんの家で食べられる七草粥はどんな味でしょうか。

記事・写真:博物館学芸員(民俗担当)

※このブログの内容は"FMかつしか「まなびランド」"で令和3年12月22日に放送した内容を編集したものです。博物館専門調査員(情報担当)

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