郷土と天文の博物館ブログ

板絵着色雨乞絵馬額いたえちゃくしょくあまごいえまがくと描かれる信仰文化

令和5年8月26日

 梅雨も明け、本格的な夏がやってくると、人々を悩ませるのが強い日差しです。夏の暑さは人々の身体に負荷をかけるだけでなく、稲作が生活の中心にあった時代には、稲が成長するこの夏の時期に日照りが続くことにより田んぼに必要不可欠な水を枯らし、人々を悩ませていました。葛飾区も例外でなく、かつては梅雨明けに日照りが続くようになると水の心配が起きるようになりました。大きな河川に囲まれ水に恵まれた低地帯の葛飾区では、現代において長雨や豪雨による水害の危険はあっても、水が絶えるところはなかなか想像がつかないかもしれません。しかしながら、用水で田畑に水を引き入れるにあたっては、強い日差しにより溜池の水が少なくなると用水の水も絶えてしまい、普段は水に恵まれている地域であるがゆえに対策を持たず、水をめぐる争いが起きました。

写真:イメージ(乾燥しひび割れた大地と太陽)

 人々がそのような水不足の事態に際して行ったのが、雨乞いの神事です。雨乞いとは、雨を降ることを神仏に祈るもので、様々な手法を用いて日本の各地で行われました。葛飾地域では、領内の町村が僧侶や神主を招き祈祷を行うのが習慣とされるほか、雨乞いで有名な榛名はるなの山へ祈願に行くことなどもありました。江戸末期に行われた雨乞いの実態をうかがうことのできる資料として、高砂2丁目に鎮座する天祖神社に所蔵される、区指定有形民俗文化財「板絵着色雨乞絵馬額いたえちゃくしょくあまごいえまがく 1めん」を紹介します。現代において、絵馬というとお寺や神社に願い事を書き奉納する、両手でおさまるような小さな絵馬が想像されるかと思います。これを「小絵馬こえま」といい、今回紹介する「絵馬額」は、横2メートル60センチ、縦70センチもの大変大きなものになります。天候不順による食糧不足が人々を襲った天保てんぽう年間の10年(1839)10月に奉納されたとされるこの絵馬額は、当時の絵師「はなぶさ 一珠いっしゅ」によって描かれました。裸にふんどしの人々が鳥居から社殿の前まで続く長い列で環を作り回る姿や、鳥居の外からそれらを見守る人々、神前では神主・僧侶らが祈祷をする姿、そして空には黒い雲とともに龍神が描かれています。この絵馬は明治45年(1912)と昭和37年(1962)に修理を行ったことが絵馬に記され、近年では令和元年に修復が行われ、今も大切に守り伝えられています。

 このように村等の特定の集団の仲間が協力し、集団にかかわる共通の願いに基づいて神仏に祈願することを「共同祈願」といい、「板絵着色雨乞絵馬額」のほかにも村の共同祈願が題材となった絵馬額が葛飾区内に残され、文化財の指定・登録を受けているものもあります。一方で、厄除けや病気の快復などをはじめとする、個人の願いの成就を祈願することを「個人祈願」といい、江戸・大阪・京都といった近世の都市社会を中心に、当時の流行の寺社、またそこに祀られる神仏にご利益を乞うため参拝するようになり、しばしば名所として浮世絵などにも描かれました。

 葛飾区郷土と天文の博物館は7月22日より葛飾区の風景や様子を知ることのできる浮世絵を展示する企画展「浮世絵に描かれたかつしか」を開催しています。名所として人気を博し、多くの人々に参詣された「木下川きねがわ薬師浄光寺」「半田稲荷神社」「帝釈天題経寺」の浮世絵をご覧いただけます。お祭りなども再開しつつあるこの夏、人々の生活とともにあった信仰文化に目を向けてみるのもいかがでしょうか。

記事:博物館専門調査員(歴史・文化財担当)

※このブログの内容は"FMかつしか「まなびランド」"で令和5年8月2日に放送した内容を編集したものです。博物館専門調査員(情報担当)

郷土と天文の博物館ブログ一覧

ページ先頭へ戻る