郷土と天文の博物館ブログ

葛西城の落城

令和6年9月20日

 現在の葛飾区青戸地区には、戦国時代に葛西城という城がありました。その葛西城の落城について、少しご紹介します。

写真:中世・戦国時代の日本のイメージイラスト

 豊臣秀吉は全国統一の仕上げに、天正18年(1590)3月、小田原城を大軍でとりかこみ、関東地方の小田原北条氏にしたがった多くの城を攻撃します。青戸地区にあった葛西城も、小田原北条氏に従う城のひとつでした。この戦いには、徳川家康や、上杉景勝などおなじみの戦国大名の多くが、全国から参戦しています。

 多くの城が豊臣軍に次々と降伏していくなか、4月22日の時点で、葛西城は降伏しませんでしたが、その後、徳川家康配下の武将戸田忠次が葛西城を攻め落としました。4月29日には、豊臣秀吉の奉行浅野長吉を通して、秀吉からの略奪禁止命令が、金町、柴又などの葛西の村々に伝えられました。北条氏の領国は、徳川家康がおさめることになります。

 江戸時代、葛西城は、徳川将軍家の鷹狩の休息、宿泊施設となる御殿として、青戸御殿がつくられました。

 葛西城の跡では城中で使われた陶磁器など様々なものが見つかっています。当館の常設展示「かつしかの歴史」ブースにて展示しています。ご来館の際には、ぜひご覧ください。

記事:博物館専門調査員(歴史・文化財担当)

※このブログの内容は"FMかつしか「まなびランド」"で令和6年8月28日に放送した内容を編集したものです。
博物館専門調査員(情報担当)

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