郷土と天文の博物館ブログ

堀切の「花かつみ」説話と花菖蒲

令和8年7月23日

「区の花」でもある花菖蒲と葛飾との関係について、特に堀切菖蒲園で有名な堀切地区との歴史的な関わりに注目してお話しいたします。

 堀切と花菖蒲との歴史について、まず注目されるのは堀切の「花かつみ」説話です。この説話は、室町時代に堀切の領主が家臣を派遣して陸奥国むつのくに安積沼あさかぬまで「花かつみ」という植物の種子を手に入れたというものです。「花かつみ」は、花菖蒲の原種であるノハナショウブのことといわれています。とはいえ、この説話は明治時代以前には確認できません。説話が成立した背景には興味をひかれますが、今のところ史実というより伝説と考えるほかありません。

 そもそも「花かつみ」とは、奈良時代の『万葉集』や平安時代の『古今和歌集こきんわかしゅう』でまれた伝説の花のことです。ただし、「花かつみ」が具体的に何の花を指すのかは当初から謎とされていました。実体のない文学的表現とも思われますが、古くからイネ科の植物のコモとする説が有力でした。堀切の説話のように「花かつみ」を野生のノハナショウブとする説が登場するのは、花菖蒲が人気の園芸植物となる江戸時代の18世紀後半のことです。堀切と花菖蒲との関係が始まるのもこの頃であり、堀切の「花かつみ」説話の成立もこの時期をさかのぼるものではないと思われます。 

 18世紀後半に堀切が花菖蒲と関わるようになったのは、堀切を含む周辺地域で花菖蒲などの草花を栽培するようになったからです。その背景には、政治や社会が安定する江戸時代の庶民の生活習慣に、法要などの仏教行事や節句などの年中行事が定着し、いけ花といった芸事がたしなまれるようになったことがあげられます。庶民レベルで切花の需要が高まり、切花用の草花の生産が盛んとなります。切花は鮮度が重要ですから、堀切周辺の近郊農村が大都市江戸の切花需要に対応する草花の生産地になったという訳です。

 堀切で栽培された草花の中でも特に花菖蒲が人気となるのですが、その背景には珍しい変異種が好まれ、品種改良がブームとなった園芸文化の発展がありました。花菖蒲は同じアヤメ科のカキツバタやアヤメと比べて圧倒的に変異種が生まれやすく、幕末までに400種以上が開発される流行の園芸植物となります。水辺に咲く多様な品種の花菖蒲を大量に栽培できる立地として、低地帯の堀切周辺は最適地でもありました。

 また、18世紀以降は江戸近郊の寺社や名勝を訪れる行楽文化も盛んとなります。花畑と化した堀切周辺は恰好かっこうの行楽地でした。こうした風潮の中、堀切で草花を生産・販売していた小高伊左衛門という農家の花菖蒲農園が大名の目にとまり、評判となります。これをきっかけに、天保末年の西暦1844年頃、花菖蒲園が開園しました。ただし、農地の食糧生産を維持したい幕府の思惑もあり、この花菖蒲園は観光目的の経営ではなく、農園としての体裁ていさいを保ち続けます。園芸農家として生産を続けたことは堀切の近代に大きな影響を与えることとなりました。明治以降、名実ともに観光花菖蒲園が成立しますが、園芸は近代堀切の代表的な地場産業として歴史に刻まれています。

 花菖蒲に関連しまして、7月25日の土曜日から11月3日の火曜日まで、当館で令和8年度特別展「葛飾区大花菖蒲展 第2期」を開催します。貴重な近代の花菖蒲園の資料展示も行いますので、是非ご来館ください。

令和8年度特別展「葛飾区大花菖蒲展」

記事:博物館専門調査員(歴史・文化財担当)/写真:国文学研究資料館より

※このブログの内容は"FMかつしか「まなびランド」"で令和8年7月22日に放送した内容を編集したものです。博物館専門調査員(情報担当)

郷土と天文の博物館ブログ一覧

ページ先頭へ戻る