② 葛飾柴又の文化的景観
A 人々の営みの中で紡がれた風景の国宝
2018年(平成30)2月13日、東京都初の国重要文化的景観に選定された「葛飾柴又の文化的景観」。このかけがえのない風景を育んだものとは?
江戸川右岸に形成された微高地を舞台に、古より人々の生活が営まれ、東京低地東端の渡河地点として栄えた葛飾柴又。
江戸時代初期に微高地上に開かれた帝釈天題経寺は、板本尊の発見を契機に、江戸市中の庚申信仰の流行とも相まって多くの人が参詣に訪れるようになります。そこには信仰とともに江戸川や豊かな自然などの癒しの風景があり、江戸の人々の行楽の地となっていきました。題経寺参道には、今も伝統的な名物である草団子や煎餅、川魚料理を商う店が軒を連ね、対面形式の販売が行われています。それを取り囲む旧家や畑、柴又用水跡などの農村風景は、それらが深く関わり合いながら発展してきたまちであることを教えてくれます。
こうした中で育まれた葛飾柴又の文化的景観は、未来に継承していくべき貴重な日本の原風景のひとつとして国重要文化的景観に選定されました。
B 文化的景観って、どんな文化財なの?
日本の多様な気候風土の中で、人々が地域の自然環境と向き合いながら生活を営み、長い年月をかけて育んできたその土地ならではの風景を文化的景観といい、「地域における人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された景観地で我が国民の生活又は生業の理解のため欠くことのできないもの」(文化財保護法)と定義されています。
文化的景観は、その土地で長年暮らしている方々にとっては、日常的で見慣れた風景かもしれません。しかし、そこには人々がその土地の風土と折り合いをつけながら生活や生業を営んできた、その土地その土地の「地域らしさ」が映し出されているのです。
こうした文化的景観の中でも、特に重要なものが重要文化的景観として国から選定されます。
C
「宇和海狩浜の段畑と農漁村景観」(愛媛県西予市)は「農耕」「漁ろう」に関する景観地(提供:西予市教育委員会)
D
「宮津天橋立の文化的景観」(京都府宮津市)は「漁ろう」「流通・往来」「居住」に関する景観地(提供:宮津市教育委員会)
E
「宇治の文化的景観」(京都府宇治市)は「農耕」「水の利用」「採掘・製造」「流通・往来」「居住」に関する景観地(提供:宇治市)
F
「金沢の文化的景観 城下町の伝統と文化」(石川県金沢市)は「水の利用」「流通・往来」「居住」に関する景観地(提供:金沢市)
A 葛飾柴又の文化的景観を構成する3つのリング
「葛飾柴又の文化的景観」は、題経寺付近の「第1のリング」、それを包む「第2のリング」、さらにそれらを取り囲む「第3のリング」の3つの区域(リング)から成り立ち、その中の特徴の異なる7つの景観のまとまりが、柴又用水(跡)、街道、江戸川でつながっています。
B 第1のリング
微高地の中心に位置し、題経寺及び門前からなる空間
C 第2のリング
江戸川河川敷沿い及び国分道沿いにかけて広がる微高地からなる、題経寺と門前を支えたかつての農村部(微高地)空間
D 第3のリング
主に水田が広がり、近代以降に市街地化の進展した低地からなる大都市近郊の低地開発の歴史を伝える空間
E 帝釈天題経寺境内
葛飾柴又の文化的景観の核をなす寺院・題経寺は江戸時代初期に創建されました。江戸時代中期に所在不明だった板本尊が発見されたことが契機となり、庚申信仰の流行とも相まって江戸近郊の流行寺として多くの参詣客を集めました。
F 帝釈天題経寺南方・江戸川河川敷沿い
江戸時代の農地開発に関わり、比較的古くから屋敷地を構えていた旧家が所在するエリア。大正年間の江戸川河川改修、大正末期から昭和初期にかけて行われた耕地整理を経て、現在は農地を含む住宅地となっています。
G 国分道沿い
微高地上に形成された農村由来の市街地で、古くから渡河地点(現在の矢切の渡し付近)に向かって発達しました。新宿(葛飾区)で水戸街道から分岐し、柴又八幡神社の前を通って渡河地点へと続く国分道(帝釈道)沿いには寺社や旧家が所在しています。
H 江戸川河川敷
江戸川に面する柴又は、舟運や渡河交通の拠点となりました。現在、河川空間は散歩やスポーツを楽しむことのできる広大なオープンスペースとなっています。また、河川敷にある新八水路は、低地開発や舟運の歴史を今に伝えるとともに、魚類や水生昆虫等が生息する豊かな水辺環境が保全されています。都内に残る唯一の渡し場である矢切の渡しは、東京都と千葉県とを結び、渡河地点としての記憶を今にとどめています。
I 金町浄水場付近
微高地の北側に位置する金町浄水場は、1926年(大正15)に竣工し、東京東部へ飲料水を供給しています。江戸川に建つ2基のレンガ造りの取水塔は東京東部のランドマークとして親しまれています。
J 帝釈天題経寺参道両側街区
題経寺の門前として発達した約200mの緩やかに湾曲する参道には、店頭対面販売形式の店舗が軒を連ね、柴又ならではの参道の風情を醸し出しています。鰻や鯉などの川魚料理、草団子、煎餅などの名物は江戸の昔から親しまれてきました。
K 柴又用水受水域
微高地の南側に位置し、江戸時代後期に開削された柴又用水によって農業の生産性が飛躍的に高まったエリア。大正から昭和初期にかけて耕地整理や土地区画整理事業が行われ、江戸川の河川改修に伴って堤内に移転した寺院が所在するなど、低地開発の歴史を伝えます。柴又用水は現在は埋め立てられ、歩道等としてその痕跡を残しています。
