文化財・かつしかの遺跡

③ 江戸・東京の人々を惹きつける葛飾柴又

写真:映像展示
A 文化的景観とは ナレーション内容                                   

埴輪:二人は文化的景観という言葉を聞いたことある?
女性:普段、耳にしない言葉ね。
埴輪:文化的景観は、 2004年の文化財保護法の改正で加わった新しい文化財なんだ。風景の国宝というと分かりやすいかなあ。
女性:「地域における人々の生活又は生業なりわい及び当該地域の風土により形成された景観地で我が国民の生活又は生業の理解のため欠くことのできないもの」と定義されているのね。
男性:ちょっと難しいなあ。
埴輪:そうだね。文化的景観というのは、人々が、その地域の風土や自然環境と向き合いながら生活し、生業を営んでいく中で、長い年月をかけて育まれた、その地域ならではの風景なんだ。
女性:でも、各地の特色あるまちなみや風景は、戦後の急速な都市化などで、たくさん失われてきたんでしょうね。
埴輪:そうだね。そうした中で2004年に景観を大切にしようと「景観法」が制定されたんだ。
埴輪:同じ年に文化財保護法が改正されて、文化的景観の保護制度が創設されたんだ。
埴輪:文化的景観の中でも特に重要なものが国の重要文化的景観に選定されるんだよ。
男性:日本の原風景というか、どこか懐かしくて、心が温かくなる、大切にしたい風景だなあ。
女性:文化的景観は、とても身近な風景で、だからこそ、その価値に気づくことが難しい風景なのかもしれないわね。
埴輪:重要文化的景観には、どんな景観があるのか見てみようか。
女性:まずは、農耕のうこうに関する景観地ね。
男性:それから、採草さいそう放牧ほうぼくに関する景観地
女性:森林の利用に関する景観地
男性:ぎょろうに関する景観地
女性:水の利用に関する景観地
男性:採掘さいくつ製造せいぞうに関する景観地
女性:流通りゅうつう往来おうらいに関する景観地
男性:居住きょじゅうに関する景観地
埴輪:これらの一つ又は複数に該当するものが重要文化的景観に選定されるんだ。
女性:どこも日本ならではの魅力的な風景だわ。
埴輪:全国各地で選定されている重要文化的景観だけど、その多くは、農村・漁村・山村などの景観で、都市的な景観は葛飾区のほか、宇治市や金沢市など少数なんだよ。
埴輪:葛飾柴又は、2018年に、東京都で初めて重要文化的景観に選定されたんだ。
女性:水の利用と流通・往来の2つに該当する景観地として評価されたのね。
埴輪:重要な構成要素という言葉も覚えておいてほしいんだ。
男性:重要な構成要素?
埴輪:文化的景観の本質的な価値を示し、保護の対象として欠くことのできない要素のことでね、
埴輪:葛飾柴又の文化的景観では、柴又帝釈天として親しまれている題経寺だいきょうじや 柴又八幡はちまん神社をはじめとする寺社、
埴輪:題経寺参道に軒を連ねる店舗、
埴輪:古くからこの地で農業を営み、柴又の発展を支えてきた旧家、
埴輪:国分道こくぶみち帝釈道たいしゃくみちなどの古い道、柴又の農業の礎となった柴又用水跡、
埴輪:そして、江戸川などが重要な構成要素として特定されているんだ。
女性:その一つ一つが「葛飾柴又の文化的景観」の大事な要素なのね。
男性:日本を代表する景観地。未来に繋げていきたい大切な風景、それが文化的景観なんだね。

B 葛飾柴又の文化的景観を育んだ風土~古代から近世~ ナレーション内容

埴輪:長い長い人々の暮らしや生業の営みの中で育まれた文化的景観を見ていく時、まず、その地域の風土を知ってほしいんだ。
男性:風土?
女性:風土と言われても分からないわ。
埴輪:そうだね。それじゃあ、一緒に見ていこうか。
埴輪:まずは少し広域で見てみようか。葛飾柴又は、関東平野の最南端、東京低地と呼ばれる低地帯に位置しているんだ。
女性:改めて見てみると、川がたくさんあるのね。
埴輪:いい所に気づいてくれたね。そうなんだ。ここは全国屈指の河川集中地帯で、
埴輪:洪水が起こりやすいと思うかもしれないけど、昔は川があるから舟運が盛んな土地だったんだ。
男性:川がキーワードになってきそうだね。
埴輪:もう少し地図を拡大していこうか。葛飾区は、東京都の東北端に位置していて、
埴輪:柴又は、葛飾区の東の端に位置しているんだ。
男性:江戸川に面しているね。対岸は千葉県だね。
埴輪:これは地形段彩図っていう高低差が分かる地図で、土地が高い所を赤色、低い所を青色で表しているんだ。
男性:江戸川沿いは土地が低いのかと思ったら、柴又の辺りは少し高いんだね。
埴輪:そう。この辺りは、今から2千年くらい前の海岸線に沿って、東西に延びる砂州さすが発達してできた微高地なんだ。
女性:この土地の高まりが重要な気がするわ。
埴輪:この微高地上に鎮座する柴又八幡はちまん神社の境内では古墳が築かれていて、つまり、この微高地上では古墳時代から人々がムラを営んでいたということなんだ。
埴輪:続く奈良・平安時代の遺跡も見つかっているよ。
埴輪:柴又は、奈良時代には「嶋俣しままた」という地名で、ここに370人が暮らしていたといわれているんだ。
男性:なんでそんなことが分かるんだい。
埴輪:奈良の正倉院しょうそういんに戸籍が伝わっていたんだ。
男性・女性:えっ、正倉院に。
埴輪:この微高地には東西方向に国分道こくぶみちと呼ばれる道も通っているんだよ。
女性:国分道ということは、国府こくふなどに通じる重要な道なんじゃないかしら。
埴輪:そう、対岸に置かれた下総国しもうさのくにの国府や国分寺につながっていたんだ。
男性:確か、江戸川は当時、太井ふとい川と呼ばれていたんだよね。この大きな川をどうやって渡ったんだろう?
埴輪:いい質問だね。国分道が太井川にぶつかる所、ここは「がらめきの瀬」と呼ばれる浅瀬で、古くからの渡河地点とかちてんで渡し舟もあったんだ。
女性:柴又で川と街道が交差していたのね。
埴輪:もう少し見ていこうか。国分道沿いに鎮座する真勝院しんしょういん。平安時代初期の創建と伝わっているんだ。
女性:柴又が古くから開けていたということね。
埴輪:こんなエピソードもあるよ。二人も日本史で習った源頼朝みなもとのよりとも。この渡河地点を渡ったといわれているんだ。
男性:源頼朝が?平家打倒に立ち上がって鎌倉へ進軍した時にここを通ったということなの?
埴輪:ここを渡河した可能性が高いと考えられているんだ。
埴輪:戦国時代にはこの渡河地点周辺は合戦の舞台にもなったんだよ。
男性:国府台合戦こうのだいかっせんだよね。小田原おだわら北条氏ほうじょうし房総ぼうそう里見氏さとみしが太井川を挟んで二度戦っているよね。
埴輪:二回にわたる合戦では、八幡神社、真勝院、良観寺りょうかんじなど区内の寺社が焼失したと伝わっているよ。
女性:柴又にも戦国時代の記憶が刻まれているのね。
埴輪:江戸時代になって、幕府を開いた徳川家康とくがわいえやすが行った治水事業のことを知ってる?
男性:江戸湾に注いでいた利根川を銚子で太平洋に注ぐように付け替えたということくらいなら。
埴輪:そう。その時、太井川の上流部を改修して舟の運航をしやすくしたんだ。
女性:太井川は江戸に物資を運ぶ重要な河川になったということね。
男性:だから後に江戸川と呼ばれるようになったんだね。
埴輪:下総国しもうさのくにに属していた柴又が江戸時代には武蔵国むさしのくにに編入されたんだけど、それによって下総国葛飾郡の中央を流れていた江戸川が国境の川になったんだ。
女性:そうすると江戸川は江戸の防衛ラインとして重要になるわね。
男性:上流の金町・松戸と下流の小岩・市川の所に関所を設けたのはそういうことか。
埴輪:交通を監視したんだね。矢切の渡しは地元の人しか使えない渡しだったんだよ。
女性:題経寺が創建されたのは江戸時代よね?
埴輪:そうだね。江戸時代初期の1629年・寛永かんえい6年に微高地上に創建されたんだ。江戸時代後半には江戸の人々の信仰を集めて、柴又は門前町として賑わうようになるんだ。
埴輪:この頃、柴又では柴又用水が整備され、耕地が拡大して農業が発展したんだ。

C 葛飾柴又の文化的景観を育んだ風土~近代以降~ ナレーション内容 

埴輪:時代が江戸から明治になっても題経寺にはたくさんの人が訪れていたんだよ。
女性:この明治13年の地図には題経寺に向かう「帝釈道」と書かれた2本の道が見えるわね。きっと、たくさんの人がこの道を歩いていたのね。
男性:でも、参道の建物はまだまばらだね。今のようなまちなみが整えられるのはもう少し先なんだね。
埴輪:そんな中、1897年・明治30年に常磐線じょうばんせん金町かなまち駅が開業して、
埴輪:金町駅から題経寺に向かう参詣客のために、1899年・明治32年に帝釈人車たいしゃくじんしゃ鉄道が開業したんだ。
男性:人が客車を押していたという鉄道だね。
埴輪:そして、1912年・大正元年には、
埴輪:現在の京成電鉄の柴又駅が開業して、
埴輪:東京から電車を使って訪れる参詣客が急増したんだ。
女性:この頃から参道のまちなみが形成されていくのね。
埴輪:さらに、1926年・大正15年には江戸川を水源とする金町浄水場が竣工するんだ。
男性:増大する東京の水需要を支えたんだね。
埴輪:近代化が進む中で、柴又では大正の終わりから昭和初期にかけて、耕地整理が行われたよ。
女性:高度経済成長期になると、田畑が減っていくのね。
男性:人口が増えていた時だからなあ。
埴輪:耕地整理された区画が宅地として開発されていくんだ。そうした中でも参道の佇まいは昔ながらの趣きを保っていて、
埴輪:この柴又を舞台に、1969年・昭和44年に映画『男はつらいよ』が公開されて、葛飾柴又の名が全国に知れ渡ることになったんだ。
男性:日本中で愛された映画だもんね。
埴輪:平成に入ると北総鉄道の新柴又駅が開業したよ。
男性:市街地化が進んでいるね。
埴輪:でも、よく見てほしいんだ。耕地整理が行われた区画はそのまま住宅地の区画として継承されているでしょ。
埴輪:柴又の農業を支えた柴又用水も埋め戻されたけど、歩道などとしてその痕跡を伝えているんだ。
男性:本当だ。
女性:柴又の農業も、耕地面積こそ減少したけど、生業が大事に継承されているのね。
埴輪:そうなんだ。葛飾元気野菜を生産する畑や昔ながらの農家のたたずまいは、柴又の大切な顔つきのひとつなんだ。
埴輪:江戸川の河川敷には、柴又用水に水を引き入れたり、舟が往来する水路として機能していた新八しんぱち水路がその面影をとどめているよ。
女性:緑豊かな一角があったわ。
埴輪:役割を終えた圦樋いりひは、魚や水生昆虫が生息する豊かな水辺環境として今も大切に保全されているんだ。
男性:江戸川、微高地、そして、渡河地点であったとされるがらめきの瀬、こうした風土の中で葛飾柴又の文化的景観が育まれてきたんだね。
女性:人やモノが行き交う交通の要衝、農村、そして、門前町。どの風景も、今につながる柴又のまちの風景なのね。
埴輪:そうだね。それからもう一つ。この柴又ならではの景観を育み、守ってきた柴又の人々のことを忘れてはいけないね。人情のまちと称される柴又は、自治町会や八幡神社、題経寺、真勝院、萬福寺まんぷくじ宝生院ほうしょういん、良観寺、医王寺いおうじなどの寺社を支える人々など、いくつものコミュニティが幾重にも重なって、人や地域の繋がりができているんだ。
女性:柴又ならではの風土を舞台に、脈々と積み重ねられてきた人々の暮らしや生業。葛飾柴又の文化的景観は、今この時も新たな歴史を重ね、未来に向けて歩み続けているのね。

D 葛飾柴又の文化的景観 ナレーション内容

女性:日本の文化を伝える大切な風景だとされた葛飾柴又の文化的景観。どんなところが評価されたのか、もう少し詳しく知りたいわ。
男性:そうだね。きっと何気ない日常の風景の中に、僕らが気づいていない大切なものがあるんだろうなあ。
埴輪:それじゃあ、どんな特徴があるのか、一緒に見ていこうか。
女性:これは柴又の上空から東を見たものね。
男性:江戸川の向こうは千葉県だね。
埴輪:葛飾柴又の文化的景観は、地形の特徴と地形に合わせた土地利用の歴史から、3つのリング状の領域からなる空間構造と捉えられるんだ。
女性:第1のリングは、帝釈天題経寺とその門前からなる空間ね。
埴輪:そう。ここは微高地の中心に位置しているんだ。
男性:第2のリングは、その周りということか。
埴輪:題経寺とその門前を支えた、かつての農村部空間で、ここは江戸川河川敷沿いと国分道沿いに広がる微高地なんだ。
女性:さらにその周りが第3のリングね。
埴輪:大都市近郊の低地開発の歴史を伝える空間で、かつては主に水田が広がり、近代以降になると市街地化が進展した低地部なんだ。
埴輪:次に葛飾柴又の文化的景観の3つの価値を見ていくよ。
埴輪:まずは、江戸・東京と房総・北関東の2つの流れが結節けっせつする場所。これをノード性というんだ。
男性:ノード性?
埴輪:ちょっと難しい言葉だけど、その特徴がよく現れているのが、ここだよ。
男性:これは題経寺の彫刻だね。
埴輪:その通り。日光東照宮にっこうとうしょうぐう歓喜院聖天堂かんぎいん しょうでんどうなどの北関東の寺社彫刻と南房総の寺社彫刻の流れが、江戸時代の後半頃から江戸川を介して融合し、多くの寺社彫刻が沿岸地域に生まれたんだ。その結実した傑作が題経寺の彫刻だとされているんだ。
女性:文化の交流によって出会い、融合したということね。
埴輪:なぜ柴又が交流する場所として栄えたと思う?
男性:うーん?
埴輪:そのカギは、現在の矢切の渡し付近の「がらめきの瀬」と呼ばれる浅瀬なんだ。
埴輪:ここは、干潮時には、川を歩いて渡ることができたんだよ。
男性:この浅瀬があったから、ここが江戸川の渡河地点になったんだね。
女性:柴又が陸上交通と江戸川の水運が結節する場所になり、交通の要衝ようしょうになったということね。
埴輪:価値の2つ目は、都市と農村の両義性りょうぎせい
男性:両義性?
女性:柴又駅から参道、題経寺に至るまちなみは、たくさんの参詣客や観光客が訪れる門前町という都市的な顔つきが印象深いわよね。
埴輪:そうだね。でも、この周囲には、柴又の農業を支えた柴又用水の流路や耕地整理の区画が残っていたり、農村の面影を残す旧家の広い屋敷地や畑が現存しているんだ。
男性:大消費地江戸を支える農村地帯として発展した柴又は、題経寺と参道、そして、その周囲で営まれた農業が深く関わり合いながら発展してきたということか。
女性:二人で歩いた細い小道は、柴又用水の跡だったのね。
埴輪:まちのそこかしこで確認できるこの両義性こそが、柴又ならではの独特な情緒ある風情を醸し出しているんだ。
埴輪:価値の3つ目は、参詣客を意識して変貌してきた建築・空間の流動性りゅうどうせい
男性:流動性か。またまた難しい言葉だなあ。
埴輪:そうだね。題経寺参道のまちなみは、伝統的な情緒を残しながらも、大きく間口の開いた店の前で、対面で商いをしているね。それに販売を行う什器じゅうきを昼夜で移動させるなど、 常に参詣客を意識して、その様相を変化させているんだ。
男性:固定的ではなく、常に動いているということか。
埴輪:葛飾柴又の核をなす題経寺の伽藍がらん造営ぞうえい過程も極めて独特でダイナミックなものなんだよ。
男性:どういうこと?
埴輪:新しいお堂を建てる時、古いお堂はどうする?
男性:普通は壊してから新しいお堂を建てるんじゃないの。
埴輪:そうだよね。でも、題経寺では、壊さないんだ。古いお堂を改造、移築しながら新たなお堂を加え、現在の境内の諸堂の配置を形成してきたんだ。
埴輪:境内地で一番重要な場所は、どこだと思う?
女性:二天門をくぐって正面にある現在の帝釈堂のある所かしら。
埴輪:そう。元はそこに本堂があったんだけど、今の帝釈堂を建てる時に、本堂を横に曳いて移動させて建てたんだ。
埴輪:その繰り返しで現在の伽藍を整えたんだ。
男性:おお!江戸時代後期から現在までの時間を圧縮すると、まるでお堂が動いているようだね。
女性:これが建築の流動性ってことね。
埴輪:葛飾柴又の文化的景観の特徴と3つの価値。どうだった?
女性:農業を基盤としながら、水陸交通の結節点という歴史的な特性を備え、題経寺の門前に広がる都市的な場。こうした柴又独自の景観が今も継承されているのね。
男性:幾重にも歴史が積み重なって育まれた、とても奥の深い魅力的なまちだということが改めて分かったよ。

写真:グラフィック展示
A 葛飾柴又らしさの源

映画『男はつらいよ』によって映し出された水や緑の豊かさ、題経寺と参道の賑わい、そして、地域コミュニティの親密さ。時代を通して人を惹きつける柴又の魅力の源はどんなところにあるのでしょうか?

B 江戸・東京と房総・北関東の2つの流れが結節する場所としてのノード性(結節点けっせつてん) 

古代から江戸川の渡河地点だった柴又は、陸上交通と江戸川の舟運とが交差する交通の要衝ようしょうでした。江戸・東京から見れば東郊とうこうであり、房総や北関東、東北方面から見ると江戸の入口となり、地域をつなぐ役割を担いました。また、題経寺の堂舎には、日光東照宮にっこうとうしょうぐう(栃木県日光市)や歓喜院聖天堂かんぎいん しょうでんどう(埼玉県熊谷市)などの北関東と南房総の寺社彫刻の流派が結実した見事な彫刻が施され、柴又は、江戸・東京と房総・北関東方面をつなぐ中間地点にあって、人やモノ、文化が行き交うノード(結節点)として機能しました。

C 都市・農村の両義性りょうぎせい

柴又は、題経寺や八幡神社が鎮座する微高地を中心に、周辺の低地部を開発しながら、ひとつの領域として発展してきました。題経寺門前の都市的な空間の周りでは、今も農業が営まれ、旧家の植栽や井戸、ほこらなど、至る所で農村由来の特徴を見つけることができます。今は歩道として整備された柴又用水跡は、農産物の生産性を高め、大消費地・江戸の需要に応えてきた地としての面影をとどめています。また、大正末期から昭和初期にかけて行われた耕地整理事業の区画が現在の宅地区画の基盤となり、農村としての土地の記憶が継承されています。

D 参詣客を意識して変貌してきた建築・空間の流動性りゅうどうせい

題経寺や門前の景観は静的なものではなく、現在に至るまで参詣客を意識してダイナミックにその様相を変化させてきました。スクラップ・アンド・ビルドではなく、増築・移築を繰り返しながら整備されてきた題経寺の諸堂や、参詣客や観光客をもてなす対面での商い、参道各店舗での昼夜の販売什器じゅうきの移動などは、柴又ならではの特徴であり魅力となっています。

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