文化財・かつしかの遺跡

④ 葛飾柴又を育んだもの

写真:グラフィック展示
A 江戸川とともにつむがれてきた人々の暮らしと生業なりわい風景

柴又は、武蔵野むさしの台地と下総しもうさ台地の間に広がる東京低地と呼ばれる地域の東部にあって、江戸川西岸に位置しています。この江戸川のほとりに形成された微高地で、江戸川とともに営まれた柴又の人々の生活。大河・江戸川が柴又にもたらしたものとは?

B 江戸川

利根川とねがわの末流として「坂東太郎ばんどうたろう」「小利根川ことねがわ」と江戸の人々から親しまれ、北関東や東北方面と江戸を結ぶ舟運の動脈でした。白い帆を上げて遡上そじょうする船の姿は失われましたが、矢切の渡しが地域をつなぐ渡河地点とかちてんの記憶を伝えます。大河の流れは東京東部の生活用水の貴重な水源となり、東京湾に注ぐ雄大な流れと水面を走る風が心地良い河川敷は人々の憩いの空間となっています。

C 水と暮らし

柴又名物の川魚料理は、小説や映画にも度々登場します。豊かな水は柴又の農業を支え、収穫された米で作られた草団子くさだんご煎餅せんべい題経寺だいきょうじを訪れる参詣客のおもてなしの品となりました。こうした恵みとともに、柴又の人々は水害などの災害と折り合いをつけながら暮らしてきました。水への畏敬いけいから育まれた信仰は今に大切に継承されています。

D 「葛飾柴又の文化的景観」を守り、後世へ伝える

近代化という豊かさを求め、開発の波が押し寄せる中、柴又の人々は昔ながらの生業にこだわり続け、そして、地域の伝統行事を大切に継承してきました。柴又の風土に根ざし、人々の暮らしの中で育まれてきたその風景は、柴又の人々の思いによって受け継がれ、未来につなげられていくのです。

 

写真:映像展示
(1) 葛飾柴又の歴史の重層性じゅうそうせい① ナレーション内容

男性:帝釈様にもお参りできたし、そろそろ帰るとするか。
女性:そうね。それにしても柴又のまちに来ると何だかほっとするというか、心が穏やかになる、そんな場所よね。
埴輪:そんな柴又が僕は大好きなんだ。でも、この風情はどこからかもし出されるものなんだろうね?
女性:長い歴史の積み重ねの中で育まれてきた柴又ならではのものなんじゃないかしら。
男性:そうだね。だからこそ、国の重要文化的景観に選定されたんじゃないかなあ。
女性:文化的景観というのは、人と自然との関わり合いの中で育まれた風景のことね。
埴輪:大事なところだね。江戸川とその畔に形成された微高地びこうち、その周囲の低地、これが柴又の物語の舞台になったんだ。
女性:柴又では古墳時代に、微高地上で人々の生活が営まれていたのよね。
男性:微高地上に鎮座する柴又八幡はちまん神社の境内けいだいで、古墳時代後期に築かれた古墳が見つかっているんだよね。
埴輪:その古墳で発掘された埴輪はにわが僕なんだ。発掘された当時、映画『男はつらいよ』の主人公の寅さんに似ていると話題になったんだよ。
男性:そのニュースは覚えているよ。
女性:奈良東大寺正倉院しょうそういんに伝わる、奈良時代の戸籍もあるのよね。
男性:その希少な資料には、現在の柴又と考えられている「嶋俣しままた」という地名が記されているんだよね。
男性:ところで、嶋俣ってどんな意味なの?
埴輪:嶋俣の嶋は土地の高まり、俣は川が分流や合流することを表していると考えられているんだ。
女性:微高地と江戸川のことね。そうすると、この地名は、柴又の地形景観を表しているのね。
埴輪:この戸籍から、この地に370人の人々が暮らしていたことが分かるんだけど、さらに面白いことがあるんだよ。
男性:なんだろう。
埴輪:ここには柴又で暮らしていた人々の名前が記されていて、その中に「刀良とら」という男性と「佐久良さくら」という女性性の名前があるんだよ。
女性:映画『男はつらいよ』の主人公も寅さんとさくらさんね。
男性:トラとサクラは奈良時代にこの地に実在していたんだね。
男性:偶然とはいえ、柴又ならではの歴史的な話題だなあ。
女性:この微高地には古い街道が通っていて、国分道こくぶみちと呼ばれていたのよね。
埴輪:この辺りは下総国しもうさのくに、現在の千葉県市川市に国府こくふや国分寺があったんだよ。
男性:そこに繋がる街道だから国分道って呼ばれたのかな。
埴輪:そうだと思うよ。柴又の辺りで江戸川を渡ったんだ。
男性:そこには「がらめきの瀬」という浅瀬があって、水位が低い時には歩いて渡ることができたんだよね。
埴輪:じゃあ、がらめきの瀬の正体は何だか分かる?
女性:川が浅くなっている理由ね。考えたことなかったわ。
埴輪:縄文時代、地球環境は温暖化の時代で海水面が上昇したんだ。その時に、かつて柴又まで張り出していた下総台地の西の端が侵食しんしょくされて、基盤きばん岩盤がんばんだけが残ったものなんだよ。この浅瀬が、その後の柴又の物語を育んでいくんだ。
女性:戦国時代には、二度にわたる戦の舞台になったのよね。
男性:そうそう国府台合戦こうのだいかっせんだね。小田原おだわら北条氏ほうじょうし房総ぼうそう里見氏さとみしが、この地で刀を交えたんだ。
埴輪:戦の時は、大勢の人や馬が移動するから、浅瀬があったこの地が戦の舞台となったのは必然だったと言えるね。
女性:渡河地点だったから、陸上交通と船の交通が交わる場所になったのよね。
埴輪:その通り。交通の結節点となる柴又は、関東の内陸と海とを結び、人、モノ、文化が行き交う交通の要衝になったんだよ。
埴輪:題経寺の彫刻は見た?
男性:ああ、見たよ。
女性:素晴らしかったわね。
埴輪:あの見事な彫刻は北関東と房総の寺社彫刻の流れが見て取れるんだ。
男性:色は付いていないけど、逆に彫刻の素晴らしさが際立っていたね。
埴輪:矢切の渡しには乗った?
女性:乗ったわ。今では都内唯一の渡しよね。
埴輪:柴又と対岸の千葉県を繋ぐあの渡し船は、渡河地点だった記憶を今に伝えてくれているんだ。
埴輪:夏には矢切の渡し付近を打ち上げ会場として、葛飾納涼花火大会が開催されるんだ。
男性:打ち上げ場所が近くて迫力満点なんだよ。
女性:この一大イベントもまた、多くの人が集い、交流したこの地の記憶の一つなのかもしれないわね。

 

写真:映像展示
(1) 葛飾柴又の歴史の重層性② ナレーション内容

埴輪:柴又では、度重なる水害や飢饉で、一時、荒廃した時があったんだよ。
女性:そうなの?
埴輪:そんな中、名主なぬし斉藤七郎右衛門さいとうしちろうえもんが、田畑の再墾さいこんや副業を奨励しょうれいして、見事に村を復興させたんだ。
男性:そういえば、江戸幕府からその功績を称えられたって八幡神社の境内にある石碑せきひに刻まれていたね。
埴輪:それから、江戸時代、19世紀前半の天保てんぽう年間に開削された柴又用水。現在の葛飾区水元にある小合溜井こあいためいを水源に、微高地の淵に沿って流れていたんだよ。
女性:なるほど、その水が柴又南部に広がる耕地を潤し、農業の生産力を高めたのね。
男性:八幡神社には柴又用水の石碑もあったなあ。
女性:微高地があったことで、いにしえから人々の暮らしが営まれ、古墳が築かれ、街道の道筋になり、農村としての発展につながっていくのね。
男性:そして、柴又の人々の知恵と努力で、この土地を守り、発展させてきたんだね。八幡はちまん神社は、こうした歴史を僕らに伝えてくれる記憶装置になっているんだなあ。
埴輪:農業の発展は、八幡神社や題経寺、真勝院しんしょういんをはじめとする柴又の寺社を支え、柴又のまちの賑わいの礎になったんだよ。
男性:門前町の印象が強いけど、柴又は農村として発展してきたんだね。
埴輪:帝釈様の参道入口に立つ大きな石碑は見た?
女性:見たわ。帝釈天王安置たいしゃくてんのう あんちと刻まれた立派な石碑よね。
男性:嘉永かえい2年建立と刻まれていたから、江戸時代の終わりの頃だね。
埴輪:この石碑は、柴又と江戸との関係を教えてくれるんだよ。
女性:どういうこと?
埴輪:この台座や玉垣たまがきには建立に関わった人々の名前が刻まれているんだけど、そこに歌舞伎役者かぶきやくしゃなどの江戸の人々や、宿場町しゅくばまち旅籠はたごの名が刻まれているんだ。
女性:題経寺の信仰が江戸市中にまで広まっていたということね。
男性:たくさんの人で賑わった当時の柴又の様子が目に浮かぶね。
埴輪:帝釈天詣でとともに、江戸の人々を惹きつけた柴又の魅力は、低地ならではの“うち開かれた景観”や自然だったんだよ。
男性:当時の江戸は大都市だったから、日々の暮らしの中でストレスもあったんだろうなあ。
女性:柴又は江戸の人々の癒しの地だったのね。
男性:そうなると、食の楽しみもほしくなるね。
男性:柴又名物といえば川魚かわうお料理、草団子に煎餅だなあ。
埴輪:そうだね。江戸川で獲れたこいうなぎを使った川魚料理、この地で収穫された米や江戸川で摘んだヨモギで作られた草団子や煎餅が、題経寺を訪れる参詣客に振舞われ、柴又の名物になったんだ。
女性:地元の食材を使って、題経寺を訪れる参詣客をおもてなししたのね。
埴輪:江戸川とともに暮らしてきた柴又の歴史の中で、人情に厚い柴又の人々の一端を垣間見ることのできるエピソードがあるんだよ。
女性:どんなエピソードかしら?
埴輪:江戸時代1783年・天明てんめい3年に起きた浅間山あさまやま大噴火。この未曽有の大災害の犠牲者が江戸川上流から柴又に流れ着いたんだ。
埴輪:柴又の人たちは犠牲者を供養くようし、この惨事さんじを忘れないために石碑を建てたんだ。
男性:柴又の人々の思いが込められた石碑なんだね。
埴輪:それ以来、毎年8月に江戸川のほとりで川施餓鬼かわせがきを執り行い、今では水に関わる事故の犠牲者の供養を行っているんだよ。
女性:柴又の人々のやさしさが伝わってくるわね。
女性:信仰と生業が今も息づき、どこか懐かしさを感じるまちなみや人情、こうした言葉で表現される柴又のまちなみは、長い長い歴史が幾重にも積み重ねられながら育まれてきたのね。
埴輪:柴又にはまだまだ色んな魅力がいっぱいあるんだ。言葉では伝えきれないから、是非、また遊びに来てよ。
男性:そうだね。柴又の四季折々の風景に触れてみたいね。まずは、次の庚申こうしん縁日えんにちに来てみようか。
女性:私は、帝釈様の邃渓園すいけいえんと山本亭でのんびりお庭巡りをしたいわ。

 

写真:映像展示
(2) 葛飾柴又を育んだ江戸川 ナレーション内容

女性:柴又といえば帝釈様だけど、私はやっぱり江戸川の風景に癒されるわ。
男性:そうだね。雄大な流れだよね。
埴輪:柴又にとって江戸川はとても大切な存在なんだ。このまちは、この川と共に歴史を重ね、文化を育んできたんだ。
男性:柴又は、まちのつくりもドラマチックだなあと思うんだよ。 近代以降の柴又の玄関口、京成線の柴又駅から、
男性:緩やかにカーブする参道を進むと、
男性:少しずつ帝釈様の二天門が見えてくるだろ。
男性:そして、その奥に江戸川の広大な風景が広がる。この線的な繋がりが柴又の行楽地としての魅力を演出しているんじゃないかなあ。
女性:あら、素敵なことを言うのね。
埴輪:この東京湾に注ぐ江戸川の流れは、今は東京と千葉の境界になっているけど、昔は太井川ふといがわと呼ばれて、下総国葛飾郡の中央を流れる川だったんだよ。
埴輪:江戸時代に利根川の本流を銚子で太平洋に注ぐように付け替えて、太井川も関宿から野田の台地を開削して、現在の流路になったんだ。
女性:その頃は船が物を運ぶ重要な手段だったから、この川は北関東や東北と江戸を繋ぐ大動脈だったのね。
男性:そうだね。江戸川と呼ばれるようになったことからも当時の江戸川の重要性が伺えるね。
埴輪:江戸川には帆掛ほかけ船が行き交っていて、柴又で焼かれた瓦が江戸市中だけじゃなく、野田や流山、土浦にまで運ばれて、各地のいらかを飾ったんだよ。
埴輪:白い帆をあげて江戸川を往く帆掛け船は戦前まで見ることができて、
埴輪:そんな風景がこの川の日常だったんだ!
女性:賑かだったんでしょうねえ。
埴輪:江戸川は、この舟運のほかにも、いにしえからたくさんの恵みをもたらしてきたんだ。
埴輪:江戸川を水源とした金町浄水場は、東京東部に水道水を供給し、現代の僕たちの生活を支えているんだよ。
男性:広大な河川空間は自然豊かな憩いの場になっているね。スポーツや散歩、サイクリングを楽しむ人がたくさんいたよ。
女性:江戸川の堤防から見た帝釈様の甍は美しかったなあ。対岸の国府台の崖線、遠くには富士山や筑波山も見えて、都会の喧騒を忘れさせてくれる風景だったわ。
男性:ところで、今では柴又は全国に知られる観光地だけど、いつ頃から有名になったんだろう?
埴輪:それは江戸時代の1779年・安永あんえい8年に、題経寺で長らく所在不明だった宗祖日蓮聖人にちれんしょうにんが自ら彫ったと伝わる板本尊いたほんぞんが発見されたことが契機になったんだ。
埴輪:江戸三大飢饉ききんのひとつに数えられる江戸時代後期の天明てんめいの飢饉の時には、苦しむ人々を救いたいとご住職がその板本尊を背負って江戸のまちを巡ったんだ。題経寺の信仰と当時流行していた庚申信仰が結びついてたくさんの人が参詣に訪れるようになったんだ。
女性:そして、江戸川の風光明媚ふうこうめいびな風景や名物などの行楽と結びついていくのね。
男性:しかし、当時、江戸の人々は歩いて往復したんだろうから、帝釈天詣では一日がかりだったんだろうなあ。
埴輪:そうだね。でも、明治になると常磐線の金町かなまち駅ができて、
埴輪:金町から柴又を訪れる参詣客のために帝釈人車たいしゃくじんしゃ鉄道が開業して、
埴輪:さらに大正になると京成電気軌道けいせいでんききどうの柴又駅が開業したんだ。
女性:柴又までの距離がぐっと縮まったのね。
埴輪:今はなくなってしまったけど、1904年・明治37年に地元有志が植えた江戸川土手の桜は、やがて桜の名所として知られるようになって、春にはたくさんの花見客で賑わったんだよ。
女性:まさに信仰と行楽のまちね。
埴輪:江戸川は柴又の伝統的な食文化も育んだんだ。
女性:柴又といえば草団子くさだんご煎餅せんべい、それに川魚料理ね。
男性:柴又の名物は江戸川の恵みということか。お昼に食べた鯉こくはおいしかったなぁ。
埴輪:柴又の料亭では今も昔ながらに、仕入れた川魚を江戸川の伏流水を張った生簀いけすに放ち、 どろを吐かせて柴又の水に馴染ませてから調理しているんだよ。
女性:草団子と煎餅は、かつては柴又で収穫されたお米や江戸川で採れたヨモギを使って作っていたのよね。
男性:昔ながらの調理方法や手作りにこだわり、柴又名物として大切に受け継いできたおもてなしの逸品なんだね。
女性:だからこそ、今でも多くの人々に愛され続けているのね。
男性:その他にも天麩羅てんぷら佃煮つくだに、漬物など参道にのきを連ねる店々が柴又を訪れる人々の舌を楽しませてくれるね。
女性:柴又にははじざるという伝統的な民芸品もあるわね。
埴輪:これはやくはじ縁起物えんぎものとして、訪れる人々の幸せを願って今も作られているんだ。
埴輪:題経寺の参道は、今はお店が建ち並んでいるけど、江戸・東京からの参詣客が増えていく中で地元の農家が仮設の店舗を出し、地元の品を振舞ったことに始まるんだ。
女性:それが次第に常設化していったのね。
男性:柴又の農業は、大都市江戸の人々の食を支えた江戸東部の農業の一角を占めていたんだよね。
埴輪:そう。収穫された米や青物は船で江戸に運ばれていたんだ。
女性:農業に欠かせない大切な水、それに新鮮な野菜を運んだ舟運しゅううん、まさに江戸川の恵みね。
埴輪:農業の歴史を考える時、江戸時代に開削された柴又用水の水も忘れてはいけないね。
女性:葛飾元気野菜の直売所があったわね。今も柴又では小松菜やトマトなどの作物が収穫されているのね。
男性:青々とした野菜や真っ赤なトマト、それに枝豆、とても美味しそうだったなぁ。
埴輪:江戸川の大いなる恵みと共に、柴又は災害にも向き合ってきたんだ。防災や減災の願いが込められた様々な祭礼が今も継承されているんだよ。
女性:毎年11月3日には、水神祭が執り行われているわね。
埴輪:そう。これは水の恵みへの感謝と水による災いを避ける願いが込められた祭礼なんだ。
男性:柴又八幡神社の例大祭で奉納される神獅子舞かみじしまいを見たことがあるよ。
埴輪:この獅子舞は水神すいじんの使いとされる龍になぞらえたものとされていて、水害をはじめとする悪しきものから柴又を守ってほしいとの願いが込められ、大切に継承されているんだ。
女性:長い歴史を重ねながら江戸川とともに暮らしてきた人々の営みの中で育まれた景観、それが国の選定を受けた葛飾柴又の文化的景観なのね。
埴輪:これを一丸となって次の世代へ繋いでいこうとする取組も行われているよ。
男性:毎年1月の文化財防火デーには、題経寺で消火訓練が行われるよね。柴又自治会でも防災訓練が行われているんだね。
女性:柴又は木造の建物が多いものね。
埴輪:柴又のまちなみとまちの未来を担う子どもたちを災害から守る、その思いで地域が1つになるんだ。
埴輪:柴又の歴史と文化を継承していこうと、地元と行政が一体となって柴又の魅力を発信しているんだよ。
女性:文化的景観選定1周年記念イベントのプロジェクションマッピングを一緒に見たわね。
男性:題経寺のお堂に映し出された柴又の歴史絵巻は圧巻だったね。
埴輪:毎年秋には寅さんサミットが開催されるよ。
女性:「日本の原風景を守り、後世に伝える」をテーマに寅さんが訪れた全国のロケ地が柴又に集まるのよね。
男性:様々な地域のグルメが食べられるから、毎年楽しみなんだ!
女性:よいフェスタと宵縁日も素敵なイベントだったわ。
男性:夜通し賑わったかつての宵庚申の記憶がよみがえる粋なイベントだね。
埴輪:柴又の食文化を次の世代に伝えていこうと開催されている草団子作りの体験講座や、柴又のまちを巡るまち歩き講座も魅力的なイベントだよ。
女性:子ども達も、とっても楽しそうね。
男性:柴又が江戸川と共に歴史を重ねてきたっていうことがよく分かったよ。
女性:江戸川の流れが人やモノ、文化を運び、名物を育んだのね。
男性:そして、柴又の人々は水への感謝と畏怖いふ祭礼さいれいとして大切に受け継いでいるんだね。
女性:まちのそこかしこに佇む文化や人情に触れながら、そして、江戸川とともに刻んだ歴史に思いをはせながら、柴又のまちをまたゆっくり歩いてみたいわ。
男性:そうだね。また違った魅力を見つけられるかもしれないね!

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