文化財・かつしかの遺跡

⑤ 江戸・東京の行楽地「葛飾柴又」

グラフィック展示
A 葛飾柴又の奥座敷「料亭川甚かわじん

江戸時代、柴又には江戸から多くの参詣客が訪れるようになります。大都市江戸に暮らす人々にとって柴又は、信仰しんこうとともに、江戸川沿いの開けた風景をでるいやしの地でもあったのです。そうした中で、川魚かわうお料理や草団子・煎餅などを振る舞う店が建ち並ぶようになります。

B 川甚の歴史(創業期)

川甚は、江戸時代後期の寛政かんせい年間(1789~1801)創業と伝わる川魚料理の老舗しにせ料亭でした。江戸川河畔に店を構え、船で訪れたお客様が直接座敷に上がることができました。店の近くの河畔かはんに備えた生簀いけすに江戸川で獲れたこいうなぎを放ち、そこで泥を吐かせ、注文を受けてから魚をさばき、調理していました。

C 川甚の歴史(大正期)

大正期の江戸川河川改修に伴って現在地に移転しましたが、川魚料理を供する料亭に欠かせない生簀を敷地内に設け、江戸川の伏流水ふくりゅうすいを汲み上げて使用するなど、江戸川河畔にあった頃の風情が継承されました。江戸時代から平成の長い年月、柴又を代表する川魚料亭として、江戸時代以来の伝統的な川魚料理を継承し、多くの人をもてなしてきました。

D 川甚の歴史(昭和~平成)、そして未来へ

2021年(令和3)1月、惜しまれながら長い歴史の幕を下ろした料亭川甚。江戸川の舟運しゅううんと陸上交通が結節するかつての柴又の玄関口に位置し、江戸川の雄大な流れを借景した座敷を構え、名物の川魚料理を提供する柴又を象徴する場所でした。葛飾柴又の文化的景観の重要な構成要素であるこの地は、「柴又川甚まちなみ館」として新たな歴史を刻んでいきます。

E 川甚を訪れた文化人

付焼刃つけやきば』(1905年)で葛飾柴又を文学作品に登場させた幸田露伴こうだろはんは、坂東太郎ばんどうたろうの雄大な大河の流れや行き交う帆掛船ほかけぶねなど、川甚の座敷からの眺望という設定で江戸川の風景を描写しました。この作品を先駆けとして、夏目漱石なつめそうせき獅子文六ししぶんろくなどの多くの文芸作品に川甚や江戸川が描かれました。川甚は江戸川の流れを眺望しながら柴又の伝統的な川魚料理を食するという柴又ならではのおもてなしの場であり、川甚を訪れた多くの著名人が残した直筆サインは、この地が多くの文化人を魅了したことを教えてくれます。

写真:グラフィック展示
A 尾崎おざき 一雄かずお

1899年(明治32)~1983年(昭和58)
小説家。三重県出身。志賀直哉しがなおやの小説『大津順吉おおつじゅんきち』を読んで衝撃を受け、作家を志すようになりました。早稲田大学国文科に進学した翌年の1925年(大正14)、同人誌『主潮しゅちょう』に最初の短編小説『二月の蜂蜜はちみつ』を発表しました。1937年(昭和12)には『暢気眼鏡のんきめがね』が単行本として刊行され、第五回芥川あくたがわ賞を受賞します。故郷で療養生活をしながらの作家活動で、自然や生き物への観察眼を深め、人間の生死の意味を追求した心境小説『虫のいろいろ』などの名作を生み出しました。同作は数か国で翻訳され、高い評価を得ています。1978年(昭和53)には文化勲章を受章しています。

B 尾崎おざき 士郎しろう

1898年(明治31)~1964年(昭和39)
小説家。愛知県出身。1921年(大正10)に刊行した『獄中ごくちゅうより』が時事新報懸賞短編じじしんぽうけんしょうたんぺん小説で入賞。同年『逃避行とうひこう』を刊行し、文壇に登場しました。1933年(昭和8)から『人生劇場じんせいげきじょう』を都新聞に連載。1935年(昭和10)に刊行した『人生劇場-青春編せいしゅんへん』がベストセラーとなり、流行作家となりました。この作品では、主人公が学生仲間とともに柴又を訪れ、江戸川河畔にあった頃の料亭川甚をモチーフにした柳水亭で看板娘のお袖と出会う場面が登場します。帝釈天題経寺の境内には「人生劇場 青春立志せいしゅんりっしの碑」が建立されています。1964年(昭和39)には文化功労章を受章しています。 

C 黒澤くろさわ あきら

1910年(明治43)~1998年(平成10)
映画監督。東京都出身。1936年(昭和11)にP.C.L映画製作所(翌年、東宝に合併)に入社し、山本嘉次郎やまもとかじろう監督の助監督を務め、1943年(昭和18)に『姿三四郎すがたさんしろう』で監督デビューしました。生涯に30作品を製作し、それら作品は海外でも高い評価を得て、世界の映画史にその名を刻みました。中でも1950年(昭和25)に劇場公開された映画『羅生門らしょうもん』は、翌年のヴェネチア国際映画祭で日本映画初の国際グランプリとなる金獅子賞を受賞しました。“世界のクロサワ”と言われ、映画手法の面でも内外の映画作家に大きな影響を与えました。没後、映画監督初の国民栄誉賞が贈られました。

D 獅子しし 文六ぶんろく

1893年(明治26)~1969年(昭和44)
小説家、演出家。神奈川県出身。1922年(大正11)に渡仏して演劇を学び、帰国後、近代劇の翻訳や演出を手掛けるなど、新劇の発展に尽力しました。1937年(昭和12)に岸田國士きしだくにお久保田万太郎くぼたまんたろうとともに劇団「文学座」の創設に関わるなど、演劇人・岩田豊雄いわたとよお(本名)としても活躍しました。そのかたわら、小説家としても獅子文六の名でユーモアあふれる多くの作品を執筆します。週刊誌小説として発表した『大番おおばん』では、帝釈天題経寺に参詣した主人公が料亭で川魚料理を食する場面が描かれています。1963年(昭和38)には芸術院賞、1969年(昭和44)には文化勲章を受章しています。

E 春風亭しゅんぷうてい 柳昇りゅうしょう

1920年(大正9)~2003年(平成15)
落語家。東京都出身。本名は秋本安雄あきもとやすお。農家の長男として生まれ、尋常じんじょう小学校卒業後に電気会社に就職します。1941年(昭和16)に陸軍に召集され、1945年(昭和20)に復員。翌46年(昭和21)、戦友の父親であった6代目春風亭柳橋しゅんぷうていりゅうきょうに入門し、柳之助りゅうのすけを名乗りました。1949年(昭和24)に二ツ目となり、5代目春風亭柳昇を襲名。1958年(昭和33)に真打しんうちに昇進しました。現代的センスの軽妙な新作落語を得意とし、とぼけた芸風で幅広い年代から親しまれました。帝釈天題経寺の玉垣には、昭和を代表するスターたちと並び、春風亭柳昇の名が刻まれています。

F 東山ひがしやま 魁夷かいい

1908年(明治41)~ 1999年(平成11)
日本画家。神奈川県出身。本名は東山新吉。1931年(昭和6)に東京美術学校研究科に進学し、結城素明ゆうき そめいに師事。1955年(昭和30)に第11回日展出品作品「光昏こうこん」で芸術院賞を受賞し、風景画家としての地位を固めます。1960年(昭和35)に東宮御所とうぐうごしょ(東京都)の壁画「日月四季図じつげつしきず」、1968年(昭和43)に皇居新宮殿壁画こうきょしんぐうでんへきが朝明あさあけのしお」を手掛け、翌69年(昭和44)に文化勲章を受章。1971年(昭和46)からは、唐招提寺御影堂とうしょうだいじみえいどう(奈良県)の障壁画の制作に取り掛かり、10年の歳月をかけてこれを完成させました。各地の風景画とともに多数のエッセーも残しています。

G 松本まつもと 清張せいちょう

1909年(明治42)~ 1992年(平成4)
小説家。福岡県出身。朝日新聞社に勤務する傍ら、1952年(昭和27)に発表した『る「小倉日記こくらにっきでん』で第28回芥川賞を受賞します。創作活動は、純文学から歴史小説、推理小説、ノンフィクション、古代史など多岐にわたり、1958年(昭和33)に発表した『点と線』、『眼の壁』などの作品は空前のベストセラーとなりました。1962年(昭和37)に発表した『風の視線』では、登場人物たちが料亭川甚で会合し、鯉料理を食した後、夜の江戸川を歩く場面が描かれています。1967年(昭和42)に第1回吉川英治よしかわえいじ文学賞、1970年(昭和45)に第18回菊池寛きくちかん賞を受賞しています。

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